今日のブログは雑談です(@^^)/~~~
ふと昨日、考え事をしていて心に浮かんだ言葉がありました。
人間万事塞翁が馬
父の口癖です。何かあるといつも「人間万事塞翁が馬」だよ。と。
いつしか、私自身も考え事をしていて頭の中がもやもやしたときに浮かんでくる言葉となりました。
人間万事塞翁が馬とは
人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)と読むのが正しいようで、人間(じんかん)とは、人を指すのではなく、世間という意味だそうです。
さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。
ある時、その老人の馬が北の胡の国の方角に逃げていってしまいました。
この辺の北の地方の馬は良い馬が多く、高く売れるので近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめに行きました。
ところが老人は残念がっている様子もなく言いました。
「このことが幸福にならないとも限らないよ。」
そしてしばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。
そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。
「このことが災いにならないとも限らないよ。」
しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。
近所の人たちがかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言いました。
「このことが幸福にならないとも限らないよ。」
1年が経ったころ胡の異民族たちが城塞に襲撃してきました。
城塞近くの若者はすべて戦いに行きました。
そして、何とか胡人から守ることができましたが、その多くはその戦争で死んでしまいました。
しかし、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに済み、無事でした。
この言葉にはいろいろな解釈があって、
一般的には
幸せや災いというものは、予測ができないものだ
幸せと不幸は交互にやってくるものだ
と解釈されることが多いし、父もこちらの解釈で考えていると思います。
父はいつも、幸せも不幸も均せば人生プラスマイナス「ゼロ」だ。良いことばかりが続くわけでもないし、悪い事だけが続くわけでもないから、良いことが続いた時は浮かれるな…と言っています。
一方私は、
人間の人生なんてものは、何が幸福で何が不幸となるかはわからない
という解釈の方を好んで使います。
起こった事実に対し、解釈の仕方次第で幸せにも不幸にもとらえられる。今起きた目の前の事だけを見ていると「不運だった」「なんてツイていないのかしら」「困った事態だ」ととらえるけれど、後々の経過の中で、
「あの時、こうだったから結果として良い方向に進んで良かった」となる事もたくさんある訳です。
どんな事実・事態においても
きっと、後々これでよかったと思える事があると前向きな気持ちを持ちつつ進んでいこうと思います。